6月20日は「世界難民の日」。
2022年2月にロシアはウクライナへの侵攻を開始し、2年たった今もなお攻撃は続いています。
既に1万人以上の市民が犠牲となっています。
ウクライナの人口は4500万人ですが、そのうち400-500万人が兵員として動員されるとしています。
ロシアとウクライナの関係
nano
ロシアによるウクライナ侵攻について両国の起源、ソ連崩壊、NATO加盟を踏まえた歴史的背景を教えてください
labo
ロシアによるウクライナ侵攻は、複雑で歴史的に深い背景があります。以下にその要点を歴史的な観点から整理してみます。
1. 両国の起源と歴史的なつながり
- キエフ・ルーシ期(9世紀〜13世紀): 現在のウクライナ地域は、キエフ・ルーシの一部であり、キエフ大公国が中心となっていました。この時期、ウクライナの一部はポーランド・リトアニア共和国に属する領域もありましたが、ロシアとの関係は密接でした。
- リトアニア・ポーランド共和国(14世紀〜18世紀初頭): キエフ・ルーシの崩壊後、ウクライナの一部はリトアニア大公国やポーランド王国の支配下に入りました。ロシア(モスクワ大公国)との接点もありましたが、主に西方諸国との結びつきが強かった。
2. ソビエト連邦時代(20世紀初頭〜1991年)
- ロシア革命とソビエト連邦の成立: 1917年のロシア革命後、ロシアは社会主義国家として成立し、ウクライナも1922年にソビエト連邦に加盟しました。これにより、ウクライナはソビエト連邦の一部となりましたが、地域的な自治が一部認められる形で統治されました。
- 第二次世界大戦後のソ連支配: 第二次世界大戦後、ウクライナはソビエト連邦の一員として再建されましたが、ウクライナ人の間での反ソ感情が根強く、特にウクライナ西部ではナチス・ドイツと戦った抵抗運動が存在しました。
3. ソ連の崩壊とウクライナの独立(1991年以降)
- ソビエト連邦の崩壊: 1991年にソビエト連邦が崩壊すると、ウクライナは独立国家として再建されました。ロシアも独立を果たし、独立後のウクライナとロシアの関係は新たなフェーズに入りました。
- クリミア併合と東部ウクライナの紛争: 2014年、ロシアはウクライナのクリミア半島を併合しました。また、ウクライナ東部のドンバス地域では親ロシア派とウクライナ政府軍との間で紛争が発生し、現在も続いています。
4. NATOとの関係
- ウクライナのNATO加盟問題: ウクライナはNATOとの協力関係を強化しており、NATO加盟を目指す一方で、ロシアはこの動きに強く反対しています。ロシアはNATOの東方拡大を自国の安全保障上の脅威と見ており、ウクライナのNATO加盟は特に敏感な問題です。
結論
ロシアによるウクライナ侵攻は、単なる現代の地政学的な対立だけでなく、長い歴史と複雑な文化的・民族的なつながりにも根ざしています。両国の歴史は一体化と分離を繰り返し、その結果として現在の状況が形成されました。
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