6月20日は「世界難民の日」。
230万人が住むガザ地区にて、これまでに3万7千人以上が犠牲となっており、そのうち1万6千人が子供だと言う。若者の失業率も70%に上り、許可なく出入りすることすらできないガザは「天井のない監獄」と呼ばれている。
なぜこんな悲惨なことが起きているのか。
イスラエルとパレスチナの間には2千年を超える歴史的な背景がある。
2千年ぶりに戻ったイスラエル人と故郷を追われたパレスチナ人との対立
nano
ガザ問題とは何ですか?
labo
ガザ問題は、イスラエルとパレスチナの対立に関連する複雑な問題です。以下に概要を示します。
- ガザ地区:
- ガザはパレスチナ自治区に位置する都市で、イスラエルとエジプトに挟まれた領土です。
- 全長41キロ、幅10キロで、約230万人が暮らしており、世界で最も人口密度が高い地域の一つです。
- 2005年までイスラエルが占領していましたが、その後も上空と境界線、海岸線を支配下に置いています
- 歴史的背景:
- ガザ問題は長い歴史を持ち、第1次中東戦争(1948年)以降、イスラエルとパレスチナの対立が続いています。
- イスラエルの建国により多くのパレスチナ人が故郷を追われ、ガザ地区は19年間エジプトに占領されました。
- 1967年の第3次中東戦争でイスラエルがガザを占領し、その後も入植地を作り続けました
- 人道的状況:
- ガザへの物や人の出入りが15年にわたり制限されており、経済や人道状況は悪化しています。
- 水不足、食糧難、心の問題などが若者たちを悩ませています
この問題は複雑で感情的な側面もありますが、平和的な解決を目指すために国際社会が取り組んでいます。
nano
ローマ時代のユダヤ人のディアスポラ、シオニスト運動、ホロコースト、イスラエル建国、アル・ナクバ、第三次中東戦争を踏まえたイスラエルとパレスチナの対立およびガザ攻撃の歴史的背景を教えてください
labo
もちろん、歴史的背景についてお話しします。以下はローマ時代から現代までのイスラエルとパレスチナの対立に関する要点です。
- ディアスポラ後のユダヤ人:
- ローマ時代にユダヤ人は離散(ディアスポラ)し、世界中に拡散して暮らすようになりました
- ユダヤ人はその後、ヨーロッパや中東、北アフリカなど地中海周辺各地に移住しました。
- シオニスト運動:
- 19世紀にユダヤ人は民族国家の建設を目指す運動(シオニズム)を始めました2.
- 1897年に第1回世界シオニスト会議が開かれ、パレスチナにユダヤ人国家を建設することが決議されました。
- ホロコースト:
- 第二次世界大戦中、ナチスはユダヤ人を組織的に虐殺しました(ホロコースト)
- 死の収容所で数百万人が殺害され、死体は炉で焼かれました。
- イスラエル建国とアル・ナクバ:
- 第二次世界大戦後、ユダヤ人はパレスチナに集まり、活況を呈しました。
- 1948年にイスラエルが建国され、アラブ側はアル・ナクバ(「災厄」)と呼ぶパレスチナ難民問題が発生しました。
- 第三次中東戦争とガザ攻撃:
- 1967年の第3次中東戦争でイスラエルは東エルサレム、ヨルダン川西岸、ゴラン高原、ガザ地区、シナイ半島を占領しました
- ガザ地区はイスラエルとの対立が続いており、ガザ攻撃などの紛争が続いています。
この歴史的背景は、イスラエルとパレスチナの対立を理解する上で重要です。🌟
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